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栄光の第二章へ…誇り高き蒼に向かう者たちへ

神大駅伝チームを率いた27年間
飽くなき情熱を秘め、監督・大後栄治の挑戦は続く。

チームを率いる重責を背負う者として
「できることをやるしかない」という選択

着任早々、若くして神大駅伝チームを二連覇に導いた監督として注目される大後に、周囲が寄せる期待は大きかった。指導者としての責任や重みを負担に感じることも少なからずあったという。チームの仕上がりが良い時も悪い時も日々重責を感じ、プレッシャーにさいなまれれば夜も眠れない。時にはぐっしょりと寝汗をかいて目覚める日もあった。
「私は強い人間ではない」と大後は我が身を振り返る。一番大切な選手の体調への気配りを筆頭に、監督としての気がかりは絶えない。ここから解放されればどんなに楽かと考えることもあった。それでも「常にやれることしかできない。その日その日のベストな答えを導いていくしかない」と、たとえ無骨であっても、同じように365日を27年続けてきた。
陸上競技は勝負ごとである以上、表裏一体である。着任当初や若い頃と比べれば、結果だけでない大事な部分もよく見えるようになった。「一喜一憂することもあるが、結果が出ずにののしられ、苦しむことも人生のひとつ」。箱根駅伝のスタート地点で他大学の監督が一堂に会する瞬間。その場に漂うヒリついた緊張感さえ快く受け止める度量は、監督経験とともに揺るがぬものとなっていった。

「全員駅伝」の伝統を守り
誇り高き蒼に向かって行け!

箱根駅伝の第93回大会において、神大駅伝チームはトップ5でシード権復活というドラマチックなレースを鮮やかにやってのけた。すると、否が応でも高まるのが周囲からのプレッシャーである。加えて第94回大会は前大会を経験した本選メンバーのうち7名が残っており、シード権死守はもとより、優勝争いをも視野に入れたレースが期待されている。

大後は2017年のチームスローガンを『誇り高き蒼に向かえば、まさに強く求めよ。やがて緑に迫り、絡み獲れ』に込めた。「神大は決して量・質ともに十分な力を蓄えたチームではなく、まだまだ発展途上。誰かの歯車が少しでもずれてしまえば全体に影響を及ぼす危うさも秘めている。思うような走りができる状態を維持するために、選手層の薄さをカバーする事前の準備力が相当要求されるだろう」と大後は分析する。
油断や慢心に陥る隙を与えず、決しておごらぬ平常心でいればチャンスは必ず巡ってくる。多くを語らなくとも、監督のメッセージは部員たち一人ひとりの胸に刻まれている。

次の箱根に向けて動き出した駅伝チーム

レースの直後から、次(第94回大会)に向けた調整は始まっていると大後は言う。「もともとモチベーションの高い選手たちなので、余計なことを言う必要がない。自らを高めていくために、レベルの高い身近な選手のやり方にならって、どうあるべきか考えてくれている」。シード権復活まで12年という時間をかけ、やっと軸ができて、スムーズな流れができつつあるという実感がある。個々のコンディショニングや練習に向き合う姿勢、日頃の言葉かけなどにも、シード校となった自覚はチーム内にも出てきた。本選で走る選手に限らず、共同生活を送る部員、サポートをするマネージャー、指導者ら全員が次にすべきことは何かを意識し、目標に向かって一歩を踏み出したのだ。

スクラップ&ビルドを経て
2度目の指導者人生をまっとうするために

神大駅伝チームを指導し続け、気付けば四半世紀以上が経っていた。かつては「駅伝の選手は走るだけ」だった時代もあった。しかし、いまの学生たちには多彩な選択肢がある。選手を育てる指導者として、また教育者として、大後の思いは常にシンプルだ。 「スポーツは自ら望んで挑むもの。苦しいこと、悔しいこともあるが、それをポジティブに従える姿勢がなければ虚しくなってしまう。嫌だったらやるものではない。アスリートには遅かれ早かれ、必ず第一線を退く日がくる。だからこそ誰かにやらされているのではなく、何のためのスポーツか、自ら望むことがとても大事なのだ。大学時代のすべてをかけて打ち込める『何か』を見つけなさい」。

監督として駅伝チームの指導に当たってきた27年の歩みを振り返るとき、「まるで指導者人生を2度、経験させてもらっているようなもの」と大後は笑う。かつて優勝を経験してから、大学駅伝の質も変化した。時代に応じた指導方法や、強い選手の獲得と育成には多くの挑戦と困難を経験し、失ったシード権を再び獲得するために12年を費やした。一度は完全にうまくいった成功体験を捨て、まったくの無から新しいトレーニング体系を生み出すことは容易ではなかった。選手のタイプに合わせて一人ひとりに強化方針を打ち出し、4年間かけて向き合えば時間は矢のように過ぎる。成果を評価するにも長いスパンが必要だった。
「普通であれば、1回頂点に立てば退陣する世界。私の場合は若くしてそれを経験してしまった。そこからの挑戦が、指導者として2度目の人生。12年もシードを取れなかった監督を続けさせてくれた大学に感謝しています。これからも挑戦は続くでしょう」。

変化し続ける大学駅伝界において次世代を担う後輩たちへ、指導者として与えられるものは何かと問えば、こう答える。「無いものを与えることはできない。本人がもともと持っている素質に、神奈川大学との化学反応で何かが起こればいい。そのための環境作りをするのが私たちの役目だ」と。40人体制の駅伝チーム全員が卒業するときに神大でよかったと巣立っていくことを願ってやまない、と目を細める。その視線は厳しくも温かい。

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