2017年、新春。第93回箱根駅伝のレース展開を誰が想像していただろうか。レース序盤の2区で先頭集団のカメラがとらえ続けていたのは、凛と前を見据えて独走する神奈川大学(以下、「神大」)のエース鈴木健吾(以下、「鈴木(健)」)だった。青山学院大学の三連覇はさも当然というメディアの煽りの中、一校がぶっちぎるレース展開に一矢報いる痛快な瞬間はいきなり訪れた。アナウンサーが神大の名を連呼し、沿道の応援が沸く。「今年は何かが違う…!」。
この年、神大駅伝チームは待望のエースの誕生と伝統の全員駅伝でプラウド・ブルーの襷をつなぎ、12年振りとなる念願のシード権復活の大躍進を遂げる。奇しくも、神大が初優勝の栄冠に輝いた1997年第73回大会から20年後のことである。過去の二連覇という栄光から続く道のりは険しく、一度手放したシード校の椅子を取り戻すために模索し続けた末の快挙だった。
神大駅伝チームは2016年10月の箱根駅伝予選会を5位で通過し、本選出場権を獲得していた。予選会の結果と選手たちのコンディションから、大後監督は本戦の8~10位を目指した調整を行っていたという。往路には予選会で個人トップ10入りした山藤と鈴木(健)を、復路には予選会の出場を回避した中平と大塚を起用し、持てる最大の力でシード権は確実に狙っていく。ただし一人でも欠けてしまえば達成は困難であると思われる、これ以上ないベストメンバーだった。
正月の晴れ空に第93回大会の号砲が鳴った。1区に準エースの山藤、2区にエースの鈴木(健)を起用した大後監督の狙いは当たった。レース序盤で二人を上位につけることで、後続の走りをどれだけ優位に進められるかが、シード権を目指す上での勝負の分かれ目だったからである。1区の山藤は冷静な走りで先頭集団にくらいつき、青山学院大学・駒澤大学・順天堂大学をマークする役目をきっちり果たし、5位で2区につないだ。この時鶴見中継所ではトップの東洋大学から5秒差があったが、2区のエース鈴木(健)は区間歴代8位となる力走で先頭集団から飛び出し、花の2区を見事に制した。2区での区間賞獲得は神大初の偉業である。
鈴木(健)からトップで襷を受け取った3区、1年生の越川は青山学院大学と早稲田大学にかわされたものの3位で4区の東へつなぐ。距離が延びて準エース区間となった4区を東は堪えた走りで区間8位につき、7位の位置で小田原中継所へ。往路の行方は5区の大野に託された。大野は決して山を得意とする選手ではないものの、大後監督から委ねられた持ち前の粘り強さで走り切り、6位でフィニッシュ。好位置で復路へと折り返した。
山の走りに特化した適任者がいない状況で、前回(第92回大会)と同じ復路6区を任された鈴木(祐希)は本来下り向きの選手ではない。それでも前回の区間15位から大幅にタイムを縮めた区間4位の走りを見せる。好スタートで始まった復路は一つ順位を上げ、5位で7区の中平へ。中平も2年連続となる7区を区間4位という危なげない走りで駆け抜け、順天堂大学を抜き去り4位で襷リレー。8区の大塚は初めての箱根ながらも前半に温存した力をスパートにぶつけ、遊行寺の登り坂では強さを見せつけ区間2位の力走となった。レースがいよいよ終盤に差し掛かり、シード権復活にいよいよ期待が高まる。白熱する応援を背に受け、9区の大川は4位をキープして10区の中神へ希望の襷をつないだ。
ゴール付近ではシード権復活を確信したチームメイトが待ち構えていた。込み上がる歓喜をぐっとこらえた表情は皆明るい。1区2区でレースをけん引した山藤と鈴木(健)が並んで立ち、真っ先に中神の姿をとらえようとする彼らの瞳には光が宿る。
中神は途中、車に衝突しそうになるトラブルに見舞われながらも無事にゴールテープに飛び込み、その胸にプラウド・ブルーの襷が揺れた。全員の努力と流した汗、たくさんの人々の想いがしみ込んだチームのシンボルである。神大は往路6位・復路7位での総合5位で12年ぶりにシード校に返り咲き、16年ぶりにトップ5に食い込んだ。レースを熱く盛り上げた神大駅伝チームの快挙に真冬の大手町が沸いた。
これまでの道のりは、決して易しいものではなかった。初優勝を果たした翌1998年の第74回箱根駅伝に、大後栄治は神奈川大学陸上競技部駅伝チームのコーチから監督に就任し、見事チームを二連覇へと導いている。しかし、この偉大な結果がさんぜんと輝くほど周囲から寄せられる期待は高まり、続く20年間は長く険しい闘いとなったことは言うまでもない。常連校としての誇りこそ守り続けても、箱根駅伝においてエース不在では強豪チームと十分に渡り合えないという現実に直面した。総合力で勝ちに行くスタイルは時代遅れとみなされ、いつしか二連覇は過去の栄光となり、優勝はおろかシード権復活こそが第一の目標となってしまっていた。シード権喪失からの12年の間には予選会で本選出場権を逃し、まさかの苦い涙を飲んだ年もあった。
「戦績を大きく左右するのはチームの総合力に加え、エースの存在も大きい」と大後監督は言う。チームを率いて27年、この間に箱根駅伝は劇的なまでに高速化した。大学駅伝や選手獲得に対する強豪校の取り組み、練習環境や質も変わった。選手一人ひとりのレベルが上がり、レースを盛り上げるスター選手が一時代を築いていくことも少なくない。
神大駅伝チームにおいては、二連覇の結果を出したことが裏目となり、旧式の指導方法から脱却できず、やや時代の流れに乗り遅れた感が否めなかった。全員駅伝の伝統は継承し続ける。しかし、その上で箱根の上位レベルを分析すると、エース区間や準エース区間を走り切る力を持ったエースの育成は急務であった。選手一人に対するスタッフを増員し、やみくもに量をこなすよりも質の高いトレーニングを採用し、強化方針を一から築くことに時間を割いた。きちんと地面を踏み推進力を高めるための理想的なフォームや、走る以前の基本的な体幹の動き作りにも注目し、選手一人ひとりと向き合う体制を整えた。
エースの存在はチーム全体の士気を高める上でも大いに影響してくる。第93回大会はエース鈴木健吾の抜きん出た活躍も大きかった。主将としてチームを率いた後、4年目の集大成のシーズンを迎えたが、その成長は目覚ましく、2017年は第93回箱根駅伝のエース区間2区での区間賞を皮切りに、第20回日本学生ハーフマラソン大会新記録での優勝、夏の第29回ユニバーシアード競技大会でのハーフマラソン銅メダル獲得など、陸上選手としての今後が大いに注目されている。
第29回ユニバーシアード競技大会 陸上競技男子ハーフマラソンでは銅メダルを獲得し、名実ともにエースとして成長した鈴木(健)
ユニバーシアードでは日本代表チームのコーチとして同行した大後も鈴木(健)をこう評する。
「国際大会の大舞台は、今後アスリート個人としての競技生活においても貴重な経験。仲間の活躍はチーム全員にとっても良い刺激になっている。鈴木は誰よりも純粋に強くなることを目指してコツコツと練習に取り組み、大学で伸びた選手。優れた先輩から学べることを吸収した後輩たちからも、未来のエースを育成していきたい」。
第94回大会は鈴木(健)にとって大学生活最後の箱根駅伝となるが、神大のみならず多くの駅伝ファンの記憶に残る「神大のエース」として再び熱風を吹かせてくれるだろう。
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