世界へ、そして未来へ 神奈川大学

vol.4 私と神大駅伝チーム 箱根湯本温泉かっぱ天国 株式会社村上 村上 東司さん

箱根駅伝は私の幼いころからの生活の一部。我が町で大舞台を走る、後輩たちの姿に今でも元気をもらっています!

神奈川大学のOBであり、箱根駅伝の5区と6区に位置する箱根湯本で、箱根湯本温泉かっぱ天国を営む村上 東司さん。
今年も、生まれ育った我が町を走る後輩たちに熱い熱いエールを送り続ける。

私と神大駅伝チームとの出会い

私は子どもの頃から高校生まで、ずっとここ箱根湯本で育ってきたので、神大駅伝チームというよりも、むしろ箱根駅伝そのものが、物心ついたときからずっと身近な存在でした。私の幼い頃は、箱根駅伝の応援スタイルが今と少し様相が違って、トラックで太鼓をたたいたり、芸者さんが沿道を一緒に走って応援したりと、ここ箱根湯本はまるでお祭りのような賑やかさだったのを覚えています。
当時、お正月は旅館がお休みのところが多かったので、元旦は町全体が大変静かでした。でも、2日・3日に箱根駅伝という“お祭り"がやって来る。いわば「駅伝が来ないとお正月が来ない」というくらい、駅伝がここ箱根湯本の人たち、そして私の生活の一部となっていたのです。
高校卒業後はご縁あって神奈川大学に進学し、学生時代はアイスホッケー部で部活に励んでいました。当時は下宿しており、特に陸上競技部との交流もなかったのですが、卒業し、大阪で3年ほど働いた後、父の跡を継ぐため、地元に戻って来ました。そうするとまた毎年の箱根駅伝が生活の一部になり、自分たちの可愛い後輩が頑張っているのだから応援しないと!」と思ったわけです。
いつからか、箱根駅伝の日になると神大陸上競技部のOBの人たちがここに来てくれて、みんなで母校を応援し、その後はここでお酒を飲んで楽しく過ごすようになりました。今でも続く正月の恒例行事になっています(笑)

私が神大駅伝チームを応援したい理由

  1年の始まりに、後輩たちが 頑張っている姿を見るのは格別なもの。ついつい応援にも熱が入ってしまいます!

ちょうど神大が優勝する前の頃だったと思いますが、当時は今と少し練習方法が違い、年末はどの大学も、30人から40人位の陸上部の部員がここ箱根湯本に合宿に来て、練習をしていました。 私も時々母校の練習を見に行っており、ある時、神大の部員たちに「練習終わったら風呂入れよ!」って声を掛けたのです。それがきっかけで、数年間は練習後によく神大の部員たちがここに来てはお風呂に入って、朝は焼きそばを食べて帰るようになりました。そうした選手たちとの交流もあり、さらに神大駅伝チームへの想いが強くなった気がします。
私が一番印象に残っているのは、神大が優勝した年(1997年)の往路の日。いつもどおり、応援したみんなとここでお酒を飲んでいたところ、二区を走った市川くんが突然、疲れているにも関わらずここに来て、「一生懸命走ってきました。必ず優勝します」と挨拶してくれたのです。
その行動、その心掛けに私たちは大変感動させられました。「ああ、すごい子たちだな。今年は絶対優勝するな」と思ったのを鮮明に覚えています。

神大駅伝チームの選手たちへのメッセージ

神大のOBであり、箱根駅伝そのものが生活の一部になっている私にとっては、とにかく箱根駅伝の本大会に出場してくれるだけで嬉しい。神大の出ない箱根駅伝なんて、それは寂しいものですよ。
1年の始まりに、自分の住むこの町で後輩たちが走っている姿を見るだけで、「今年も、さあ、行くべ!神大が頑張ったから、俺も頑張るべ」と、70歳を過ぎた今でも元気をもらえます。
箱根駅伝という、全国でたった20校しか出られない大舞台に、母校が出場し、そして全国に母校の名が知れるということは、とても気持ちがよく、誇らしいことです。だから、後輩たちには本当に感謝しています。
でも、ついつい熱が入ってしまい、順位を気にしてしまうんだけどね(笑)。
だけど、選手にはどんな結果であったとしても、単に走っただけで終わるのではなく、箱根駅伝という大きな戦いの場でしか得られない何かを得て帰ってほしい。
人生は卒業した後の方が長いのだから、今ここでしか得られないものをしっかりと掴んできてほしいと思います。

※役職・文章等は取材当時の内容となります。

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